「きらり、発見!堀川物語館」

きらり、発見!堀川ものがたり館 ご利用案内 (PDF:802.5キロバイト)

「ひらた船」(川ひらた・五平太)
県指定有形民俗文化財 ひらた船 紹介板
ひらた船付船具一括 昭・37・4・19指定
「ひらた船」とか「川ひらた」(別名五平太ともいう)と呼ばれる川船は、
江戸時代は米や雑貨の運送に、また同時代末から明治・大正時代に
かけては筑豊の石炭運送の主役として活躍した。
船の構造は川での運送に便利なように喫水を浅くし、船べりを広くと
って造られており、特に浅瀬を通過する時、船体がしなるように設計さ
れている。遠賀川のように川幅の広い所では大型が、そして堀川では
標準型または小型が用いられた。 北九州市教育委員会
積載量は大型で十トン、標準型で七トン、小型で四・五トン位であった
という。このひらた船は標準型である。 遠賀川では帆を張ることもあったが、掘川では棹や櫂を使って船を進
め、空船の時は陸上から綱で引張ったりしていた。
同時に指定された船具は陶製の水瓶、なす型の上野焼徳利、船箪笥
などでいずれも船上で、日常用いられていたものである。
本校初代校長であった川原茂先生が、開校当時次々と姿を消す遠賀川
・遠賀堀川の「ひらた船」を文化財として残したいと考えられて探し求められ
たのがこの船です。
毎年、地元小学生が郷土学習用教材として、見学に訪れます。
平成19年11月30日 「産炭地域の特性に応じた近代技術の導入など九州
・山口の石炭産業発展を物語る近代産業遺産物群」の「地域活性化に役立つ
近代化産業遺産」として認定されました。

三好セキ女史頌徳碑 |

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頌徳碑 紹介板
三好セキ女史は、岐阜県恵那郡本郷村出身。18歳の時に三好徳松氏と結婚し、
1男3女をもうける。 夫の三好徳松氏は、当時の遠賀郡浅川村に生まれ、鉱夫からたたきあげて三好鉱
業株式会社の鉱主になり、新しい技術を積極的に取り入れた炭砿経営を行った。
大正9年から衆議院議員を2期8年間つとめるなど大きな足跡を残した。 夫人の三好セキ女史は、当時、小倉市と直方町にしか高等女学校がなかったこ
とから、遠賀郡内に女子中等教育を行う学校の必要性を感じ、大正7年に私財を
出して私立折尾高等女学校を設立した。 その後折尾高等女学校は、大正15年に福岡県に敷地・建物すべてが譲渡・移管
され、数々の変遷をへて昭和31年に現在の福岡県立折尾高等学校となった。 セキ女史は、徳松氏の死後、昭和9年に周囲の反対を押し切って三好鉱業を日本
炭礦に売却した。
その時、会社の株式をはじめ広大な土地などの不動産をすべて処分し、三好徳松
氏名義で次々と公共に寄付した。その後は福岡市に移り住み、昭和33年に81歳
で他界した。
この頌徳碑は、昭和9年に建設された。碑文は、当時の外務大臣でのちに内閣総
理大臣となった廣田弘毅氏の筆によるものである
福岡県立折尾高等学校創立50周年を記念してこれを記す。 平成18年8月吉日 福岡県立折尾高等学校 |

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なお、「きらり、発見!堀川ものがたり館」には、女史の遺品として野外燗付け器
(写真)が収蔵されている。

《PDFファイル》
堀川資料館・ひらた船の見学申込書 (PDF:82.1キロバイト)
《Wordファイル》
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